密室での出来事

 2025年1月16日

 時間が空いてしまったが、ゲーテはいつも前日に会ったばかりのような態度で接してくれる。

――主張の隠蔽は卑劣だと思いますが、具体的にどの法律に違反しているかと考えると大したことなくなってしまいます。弁論主義違反だと詐欺と較べて相当軽い感じがします。

 「主張隠蔽を軽く見てもらっては困る。攻撃・防御は主張によって行なうものだから、気に入らない主張を全部なかったことにしてよいのなら裁判所が勝敗を好き勝手に決めてよいということになる。具体的にどの法令に反しているか分からないなら憲法違反だと言っても構わない。裁判を受ける権利は主張が真摯に審理されることなしに存立しない。主張を無視することは人格を無視することと同じなのだ。」

――分かりました。そうすると今までのところ、「詐欺+主張隠蔽は合憲」というのが最高裁の判断になります。

 「主張隠蔽と関連するものに主張変更あるいは主張選択というものがある。それらの総称として主張操作と呼ぶことにしよう。」

――主張選択は分かります。勝たせたい側に有利になるように主張の一部を選ぶのですね。主張変更というと少し穏健なイメージが出てきますが……。

 「その通り。当事者の同意を得て改変することを意味する。本人訴訟の場合に裁判所がよく使う手口だ。通常代理人がいる側に有利になるように主張を変えるように誘導する。しかし『ツェッペリン飛行船と黙想』事件ではこんなことがあったのだ。」

 ゲーテは座り直してから話し始めた。

この続きを読むには
購入して全文を読む

傲慢と侮辱

――高裁が隠蔽した主張は他にもありますか?

 「上林は二度目の脳溢血で右半身不随になり、左手で原稿を書くようになった。妹の德廣睦子が苦労して判読したことが知られているが、『ツェッペリン飛行船と黙想』を出す頃には睦子にその力はなくなっていた。それで被告社員Nと原告が判読した。Nが判読したのは比較的読みやすいもの4編で、Nが判読を諦めた作品5編を原告が判読した。作品の判読は『地のさざめごと』事件で、創作性ありと認められている。誰にでもできることではないので誰がやっても同じであるとは言えないからね。これは配列ではなく選択に関する事実なのだが、高裁はこの主張を黙殺した上、選択に創作性はないとした。」

――例の移転トリックを使えば被告勝訴にできるのですから選択に創作性を認めてもよさそうなものですが。その他には?

 「原告が「解題」にNに対する謝辞を書いているのだが、これは編集の主体が原告であることを被告が認めていたことを意味しているというのが原告の主張だ。この主張にも被告は抗弁できずに沈黙したのだが、裁判所はなかったことにした。謝辞というのは協力者が書くものではないが、被告は原告を単なる協力者だと言っている。」

――尊大すぎます。Nは自分に敬語を使うような人間なのですか?

 「今の日本では言葉が乱れまくっている。自分の妻を「奥さん」と呼んだり……。外国から来た人が意味を理解しないで言っているのなら仕方ないが。「させていただく」という妙な丁寧語もまかり通っている。そう、一番ひどいのは「先生」を自称する連中だな。」

――そうすると裁判所が隠蔽したということは……。

 「裁判官にも多少の常識が残っていたということだろう。実際裁判官ほど尊大な職業はないと思うのだが。ともかく尊大と貶めは車の両輪のようなものだ。被告の尊大さは相手を貶める言動を予感させる……。」

 ゲーテ邸を辞して下宿に戻って今日の会話を反芻した。すると会話に出なかった言葉が浮かんできた。傲慢と侮辱か!高慢と偏見もそうだがまるで法律屋のためにあるような言葉だ。

キラー主張の隠蔽

 「「自由詩が巻頭にあるのは自分の専門が西洋史学で、観戦記が巻末にあるのは自分の趣味が将棋だからである。その二編についてだけ解説を執筆した。」これが原告の主張だ。証拠が「解題」であるので誰も否定できない。キラー主張と呼ぶことができるだろう。誰がどうやっても否定できない主張、勝敗が完全に決する主張のことだ。」

――著作物性著作者性も同時に証明していますね。この主張を書くと争点が二つあるのが不正であることが読者にバレてしまいます。裁判所が個性がハッキリ表れていないところだけを取り上げて創作性を認めるという変なことをしているわけが分かりました。「解題」の内容は確かに専門的です。同じ対局を米長邦雄永世棋聖が記事にしていることまで調べているのですから。原告の棋力はどのくらいかご存知ですか?

 「一番強かったときで初段くらいだと言っていた。実戦はほとんどないが詰将棋はしばしば解いているそうだ。2020年11月に上林暁没後40年企画として大方あかつき館で将棋大会が開催されたのだが、原告は級位者の部に出場して2勝4敗だったそうだ。この大会に中村出身の森雞二九段がゲストで来ていた。」

――余り強くないんですね。しかし意外と言っては失礼かもしれませんが、あなたも将棋に詳しいのですね。

 「若い頃はよく指したものだ。家庭教師を相手にね。」

――将棋が趣味だとは知りませんでした!ところでキラー主張は《キラー事実》の主張ですね。キラー事実は《キラー証拠》によって証明されます。

 「そうだ、高裁は誰でもアクセスできる証拠を無視し、それによって証明された事実を握り潰したのだ。」

――主張隠蔽は詐欺の一部だから別にカウントしなくてよいと仰いましたが、私は反対です。強盗のための殺人が強盗の一部でないのと同じで、悪質なものは別に考えないといけません。高裁の行為には強い悪意が感じられます。

(つづく)

文学・戦争・編集著作

 「『智恵子抄』事件と『地のさざめごと』事件を知っているかい?どちらも編集著作権に関わる裁判だが、戦争が関係している。『智恵子抄』の著者高村光太郎は戦意高揚の詩をたくさん書いた。当事者の龍星閣は戦争詩集『記録』と『智恵子抄』を出版した。『地のさざめごと』は旧制静岡高等学校戦没者遺稿集だ。好戦のものもあれば反戦のものもある。当事者の藤本治の編集方針でそうなった。」

 文学の話になってゲーテは俄然乗ってきた。

――それが『ツェッペリン飛行船と黙想』事件とどういう関係があるのですか?

 「その表題作「ツエペリン飛行船と默想」も戦争と関係する詩だ。」

――小説家だとばかり思っていましたが上林は詩も書いていたのですね。

 「残念ながら上手い詩ではない。これ一作で詩作を止めたのは正しい判断だと思う。とはいえ上林の思想がはっきり分かるという点で重要な作品だ。原告は「解題」の中で、飛行船がワイマール共和政のドイツから大正デモクラシーの日本へ飛んで来たことを強調している。そして上林が戦争が起きることを心配していると書いている。なぜそうしたことを書いたかと言えば、この本の出版を担当した被告社員Nが「戦意高揚の響きがある」と言っていたからだ。」

――第一次世界大戦のときドイツの飛行船がパリを爆撃しましたね。

 「そう、そのことをパリに滞在していた島崎藤村が日記に書いている。上林は島崎を愛読していたから飛行船を見て戦争を想起したのだろう。『ツェッペリン飛行船と黙想』事件の原告はそれらを三大文芸編集物事件と呼んでいる。戦争が関係するのは偶然であって、編集著作の本質とは関係ないが、比較することで編集著作者とは何者であるか、そして裁判官がどのくらい劣化したかよく分かると言うんだ。」

――それで高裁の法令違反とどういう関係があるのですか?

 「まぁ待ちたまえ。原告は「自由詩から観戦記まで詩的なものから散文的なものへ」という編集方針を立てた。そしてとりわけ重要な作品と思った自由詩を巻頭に、そして自分の趣味である将棋の観戦記を巻末に配列した。「解題」に解説を書いているのはその二作についてのみだ。戦争について、戦間期についてよく知らないNのような若い人たちに向けて、大学で西洋史を教えた経験のある原告は丁寧に解説を執筆した。」

――Nというのは被告の代理人から《ありふれた配列すら考え出せない人》と貶められた人ですね。しかし判決文にその配列のことはまったく書かれていませんね。創作性があることは明白ですが。

 「そう、高裁は被告が抗弁できなかった原告の主張を全部隠蔽したのだ。」

(つづく)

The Last Straw

 2024年10月30日

 『ツェッペリン飛行船と黙想』事件の概要は分かったものの、細かいところが気になったので引き続いてゲーテに尋ねてみた。裁判所がネットに上げている情報だけでなく、遺族から聞いたという話も知りたかったからである。

――裁判所が争点を捏造したという話でしたが、「自分が配列を決定したから原告は創作者ではない」という被告の抗弁に原告はどう応じたのでしょうか?

 「確かにそれは重要な問題だ。原告の応対次第では捏造ではなくなってしまうからね。今の抗弁は一審でのものだ。二審で原告と被告は一つずつ準備書面を提出したのだが、どちらも著作物性の有無を主張しているだけで、誰が創作したかということはまったく議論していない。従って高裁は虚偽公文書作成罪も犯している。」

――とすると首謀者は被告ではなくて裁判所だということになりますね。無効であることが明白な古い主張を掘り出してきたのですから。詐欺と虚偽公文書作成以外にも法令違反をやっているのではないですか?

 「他にもあるが、最も重要なものが詐欺だ。日本の裁判所には、こちらがいろいろなことを主張すると一番重要でないものを選んで反論し、それですべて反論したかのような顔をするという特徴がある。従って他の法令違反は無視してよいのではないかな。」

――私は日本人でも裁判官でもありませんから、そんなことは言わないでください。最高裁が岡口基一を処分するときにthe last straw」という言葉を使った裁判官がいました。山本庸幸、林景一、宮崎裕子の3人ですが、他の裁判官たちもこの点は同意するでしょう。そうでないと処分理由が麦わら一本分で軽すぎますから。「裁判官の悪事は蓄積し、消えることがないので別個に評価することは許されない」という意味の判例と考えてよいのではないでしょうか。従って高裁の法令違反を徹底的に明らかにするべきです。

 「法律家なんていうのは都合に合わせてルールを変えるものだ。岡口に対して処分ありきでルールを一時的に変えた可能性があるから判例とまでは言えないだろう。まぁしかし他の法令違反を挙げてみよう。但し違法行為を足すのはよいが重複には気をつけなければいけない。虚偽公文書作成は詐欺の一部だし、自身が創作者であることを否定する者を創作者と認めるのは弁論主義違反でもある。そういう場合は詐欺だけを残すことになる。高裁は詐欺の他にもいくつか法令違反をやっており全部足して考えても合憲だと最高裁は判断したのだ。」

(つづく)

創作性移転トリック

――だんだん見えてきました。被告は原告が編集したことを認めた上でその創作性を否定した。しかし創作性が認められる可能性が高いと考えて、やっぱり自分が編集したと言い出し、それを裁判所は認めた……。

 「いや、被告は最初から二股をかけていた。自分が相当不利だと思ったのだろう。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」だからね。しかし争点を二つにしても編集の定義がそのままだとやはり原告が創作者になってしまう。一工夫必要だ。高裁の判決文の結論部を見てみよう。控訴人とは原告のことで、被控訴人とは被告のことだ。」

 

「……選択された作品をこれらの分類項目に従って配列することを決定したのは、被控訴人であると認められる。」(23ページ)

「控訴人の行為は、著作権承継者の代理人的な立場で編集方針や素材の配列についての希望や意見を述べたものにすぎず、直接創作に携わる行為ということはできない。」(24ページ)

 

 「「配列すること」を「希望や意見を述べる」ことと言い換えて創作性がないとし、「配列を決定すること」には創作性があると示唆している。「配列に創作性がある」と認めたのに、今度は一転して「創作性があるのは《配列》ではなく《配列の決定》だ」と言い出したのだ。」

――似ているから読者は騙されてしまいますね。希望も意見も述べなかったら何も表現できないでしょうに。しかし本当に被告は配列を決定したのでしょうか?将棋の観戦記「大山・升田三番勝負第二局千日手再指し直し局観戦記」をラストにしたのは原告か著作権継承者であって、被告はいやいやながらに受け入れただけのようですが。

 「配列の決定を被告がしたかどうかは重要ではない。文句を言われても「単なる事実誤認」だと言い逃れることができる。だからそのことは考えなくてよい。但し面白いことに、被告が決定したと仮定するとなおさら被告は創作者ではなくなるのだ。」

――と言いますと?

 「被告は決定権を持っていたのに、自分で考えた配列ではなく原告の配列を自発的に採用した。従って編集能力は原告の方が高いと認めたということになる。原告の配列はありふれていると被告は主張している。以上をまとめると被告の主張は「原告はありふれた配列しか考えられない凡人、被告自身はありふれた配列すら考え出せない才能ナシ」となる。

――原告の配列がありふれてなかったので原告は才能アリと認められましたが、被告は才能ナシのままです。才能ナシが創作できるはずはありません!論理的にも現実的にも無理です。被告が決定しても創作者でないのと同様、原告は自身で決定していなくても創作者です。誰が配列を決定したか議論しても無駄ですからここでは、被告が決定したことにしてあげましょう。(笑)

 「高裁は「原告が創作したかどうか確認する」と言って《配列》と《配列の決定》をすり替えたのだが、その手口をどこかで見たことがないかね?」

――あります、あります、「あなたの口座が不正に使われたかどうか確認する」と言ってキャッシュカードとポイントカードをすり替える特殊詐欺の手口です。共通点は相手を信用させた上、価値のあるものとそれに似ているけれども価値のないものをすり替えることにより利益を移転させるということです。

 私がそう言うとゲーテは満足そうに頷き、沈黙した。

 帰途石畳を見ながら考え続けた。インターネットに公開されている情報だけでゲーテが裁判所の嘘を見抜いたのはさすがだ。上告が棄却されたことも高裁のウェッブページに書かれている。詐欺は合憲は本当だった。裁判所全体が一つの詐欺グループなのだった。

著作物性と著作者性

 2024年10月15日

 午後、いつものようにゲーテ邸を訪れた。「事件」の話の続きをした。

 「著作権侵害で訴えられた側が反論する場合、次の二つの主張から一つ選ぶことができる。一つは「それは著作物でない」で、もう一つは「あなたは著作者でない」だ。著作物でないということは表現がありふれている、従って誰が表現しても同じようになるということ。「あなたは著作者でない」と主張する場合、著作者は自分または第三者だということになる。注意しないといけないのは著作物性の否定と、著作者性の否定は両立しないということだ。」

――著作物性を否定すると自分が著作者であることを否定することになるのは分かります。しかし第三者の可能性は残るのではないですか?

 「著作とは自分の思想や感情を個性的な方法で表現することだから、著作物性を証明するとき自分の思想・感情を明らかにすることになる。第三者の思想・信条を証明する人はいない。そもそもそれは知ることも難しい。」

――なるほど、分かりました。著作物性と著作者性は同じ事実によって証明されるから争えるのは一つだけということですね。『ツェッペリン飛行船と黙想』事件の控訴人は原告でもありますから原告と呼びましょう、彼は自分で考え出した配列の創作性を証明することによってその本が編集著作物であることを証明した。従って裁判所は編集著作物性を認めた以上、原告を編集著作者と認めたことになる。

 「初めから争点は一つしかなかった。二つ目の著作者性に関する争点は必要のないもので、原告から創作性を奪取するために裁判所が捏造し、付け足したものだ。知的財産高等裁判所のウェッブページにこの事件の争点が書かれているのだが。」

――編集著作物性と編集著作者性が両方出ています!これを見ただけでもこの裁判所が不正をなしたことが分かります。

 裁判例検索のページでキーワード検索をしてみたが、著作物性と著作者性の両方が書かれているのは『ツェッペリン飛行船と黙想』事件の判決だけだった。私がこの事件に着目したのはそう、どうして争点が二つもあるのか不思議だったからだ。

――あなたの明晰な頭脳にかかれば、この極東の島国の裁判官などはいくら威張っていようと、現場を押さえられたコソ泥も同然ですね。

 「なあに、少しばかり論理的に考える力があれば、法律のことをよく知らなくても分かることだよ。しかし君も毒舌になってきたな。」

――ニーチェの影響でしょう。彼が私たちの会話を高く評価していると聞いたので、どんなことを書いているか読んでみたのです。

(つづく)