「『智恵子抄』事件と『地のさざめごと』事件を知っているかい?どちらも編集著作権に関わる裁判だが、戦争が関係している。『智恵子抄』の著者高村光太郎は戦意高揚の詩をたくさん書いた。当事者の龍星閣は戦争詩集『記録』と『智恵子抄』を出版した。『地のさざめごと』は旧制静岡高等学校の戦没者遺稿集だ。好戦のものもあれば反戦のものもある。当事者の藤本治の編集方針でそうなった。」
文学の話になってゲーテは俄然乗ってきた。
――それが『ツェッペリン飛行船と黙想』事件とどういう関係があるのですか?
「その表題作「ツエペリン飛行船と默想」も戦争と関係する詩だ。」
――小説家だとばかり思っていましたが上林は詩も書いていたのですね。
「残念ながら上手い詩ではない。これ一作で詩作を止めたのは正しい判断だと思う。とはいえ上林の思想がはっきり分かるという点で重要な作品だ。原告は「解題」の中で、飛行船がワイマール共和政のドイツから大正デモクラシーの日本へ飛んで来たことを強調している。そして上林が戦争が起きることを心配していると書いている。なぜそうしたことを書いたかと言えば、この本の出版を担当した被告社員Nが「戦意高揚の響きがある」と言っていたからだ。」
――第一次世界大戦のときドイツの飛行船がパリを爆撃しましたね。
「そう、そのことをパリに滞在していた島崎藤村が日記に書いている。上林は島崎を愛読していたから飛行船を見て戦争を想起したのだろう。『ツェッペリン飛行船と黙想』事件の原告はそれらを三大文芸編集物事件と呼んでいる。戦争が関係するのは偶然であって、編集著作の本質とは関係ないが、比較することで編集著作者とは何者であるか、そして裁判官がどのくらい劣化したかよく分かると言うんだ。」
――それで高裁の法令違反とどういう関係があるのですか?
「まぁ待ちたまえ。原告は「自由詩から観戦記まで詩的なものから散文的なものへ」という編集方針を立てた。そしてとりわけ重要な作品と思った自由詩を巻頭に、そして自分の趣味である将棋の観戦記を巻末に配列した。「解題」に解説を書いているのはその二作についてのみだ。戦争について、戦間期についてよく知らないNのような若い人たちに向けて、大学で西洋史を教えた経験のある原告は丁寧に解説を執筆した。」
――Nというのは被告の代理人から《ありふれた配列すら考え出せない人》と貶められた人ですね。しかし判決文にその配列のことはまったく書かれていませんね。創作性があることは明白ですが。
「そう、高裁は被告が抗弁できなかった原告の主張を全部隠蔽したのだ。」
(つづく)